多様な人財の交流が、ビジネスの種を生む

  • 三菱地所株式会社
  • 人事部長
  • 相川 雅人 様

「まちづくり」を通じて、企業のあり方や個人の働き方、暮らしの新たな提案を進めてきた三菱地所株式会社。2018年に「新たな価値を創造し続けるオフィス」の実現に向けて本社を移転し、三菱地所自らが実験台となり、空間を生かした生産性向上や新たな価値創造に向けた挑戦が行われています。また、2019年10月には、同社で初の取り組みとなる「副業の解禁」およ び「一部事業における副業・兼業人材の公募実施」を決定。明治時代に野原だった「丸の内」を、世界でも有数のビジネスセンターに成長させていった三菱地所は、今どのような経営戦略、人事戦略へとかじを切っているのでしょうか。人事部長の相川雅人氏に、株式会社ビズリーチの執行役員である酒井哲也が伺いました。
(所属・役職等は取材時点のものとなります)

三菱地所株式会社 人事部長 相川 雅人 様

株式会社ビズリーチ 執行役員 HR Techカンパニー リクルーティングプラットフォーム事業ユニット 事業ユニット長 酒井 哲也

丸の内で見てきた人々の働き方や価値観の変化

-御社はこれまで120年以上にわたって「丸の内」の開発を手掛け、日本を代表するビジネスセンターに成長させてきました。御社の歴史、そしてまちづくりの変化についてお聞かせください。

相川氏(以下、相川):丸の内の歴史は、当時三菱社の社長・岩崎彌之助が1890年に政府から土地の払い下げを受けたところから始まりました。明治以降の第一次開発は、イギリスに影響を受けた赤レンガのオフィス建設から始まり、大規模な近代オフィスビル開発へと移行した第二次開発は、戦後の高度成長期からです。

その後、1990年代のバブル崩壊が大きな転機となりました。「働けば働くほど、経済は豊かになり、社会はよくなる」という未来予想図は崩れ、「オフィス一辺倒の街にはサステナビリティー(持続可能性)がない」という価値観が広がっていき、ビジネスパーソン以外にも人々が訪れるような、街としての魅力や多様な機能が、日本経済の中心である丸の内のまちづくりにも求められるようになったのです。1995年に旧丸ビルの建て替えを発表して以降、「世界で最もインタラクションが活発な街」をコンセプトとした第三次開発では、新しい都市機能の創造に取り組んできました。現在は、丸の内再構築のさらなる拡がりと深まりを目指し、丸の内の活気と賑わいを大手町・有楽町にも拡大しています。

不動産事業は、一度作れば50年、100年先まで残り、人々の生活に大きな影響を与えます。だからこそ、今後どんなライフスタイルが求められるのか、人々の価値観はどう変化していくのかを見据えて設計・開発していく必要があります。

酒井:あらためて、不動産事業の時間軸や規模の大きさを実感します。ビズリーチはまだ創業10年ではありますが、産業構造や働き方、人生100年時代の到来など、さまざまな変化に対応してきたことで、事業を拡大できたと考えています。丸の内の進化に携わり、そこで働く相川さんご自身がこの10年間で感じられた大きな変化について教えていただけますか。

相川:私が入社した1990年の丸の内には、スーツとネクタイをしたビジネスパーソンしかいませんでした。しかし、今はビジネスパーソンの服装もさまざまですし、ランチを楽しむご家族、街を歩く外国人観光客、カフェで仕事をする方など、多様な時間の流れが一つの街、同じ空間に共存していることを感じます。特にこの10年間で、街の景色が人々の価値観や時代の変化を映し出すという、不動産事業の面白さを実感しています。

 

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